FC2ブログ

記事一覧

(1)憧れのフランク・ロイド・ライトの学び舎

IMG_3798 2 (2)
IMG_4444 (1)
IMG_4447 (2) 自由学園 明日館(みょうにちかん)。旧帝国ホテルを設計した、フランク・ロイド・ライトの手による学び舎。20世紀を代表する建築家だ。

 幾何学模様の窓が美しい。重要文化財。いまは、いろいろな行事が行われるだけで、学校としては、使われていない。毎週月曜日は休館日だ。

 池袋のホテルメトロポリタンの向かいのクロネコヤマトの集配所を入って行くとある。すぐ近くだ。

IMG_5077.jpeg
IMG_5090.jpeg 夜間見学会。ライトアップされ、風情がある。毎週第三金曜日に行われる。18時〜21時(20時半までの入館)。下は、自由学園の向かいにある、講堂の写真。

IMG_4322 (1) かつて、生徒たちが先生と一緒に食事をした食堂。

 奥の幾何学模様の窓は、かつては、ライトが作ったステンドグラスだった。

IMG_4363 (1) 生徒数が増え、増築しなければならなくなり、弟子の遠藤新(えんどう・あらた)が泣く泣く取り壊し、ライトの作風を真似て、新たにテラスを小食堂にした。

IMG_4331 (2)
IMG_4341 (1) 食堂で、アイスティーとオレンジピール入りのパウンドケーキをいただいた。

 見学のみが400円。喫茶付き見学が600円。下は、自由学園のイラスト入りのコースター。

IMG_4287 (1) 1921教室へ続く廊下。

IMG_4312 (1) 1921年(大正十年)4月15日の開校の日、入学式を行った由緒ある1921教室。いまは展示室になっている。

 ここで、14時から、ビデオを見ながら、建物解説の話を聞く。30分の予定だったが、盛り上がってしまい、45分も話してくれた。

IMG_4289 (1) 少し長くなるが、いろいろな発見のある、面白い解説だったので、内容を紹介しよう。

 BSテレビ大阪(BSテレビ東京)で、「名建築で昼食を」という番組で、食堂が紹介されたばかりなので、見学者は多かった。12人ほど。誰もいない日もあるというから、多い方だ。

「名建築で昼食を」は、毎週土曜日、深夜0時56分から放映されている。カフェの開業を夢見る主人公は、池田エライザ。田口トモロヲが名建築巡りの指南役だ。

IMG_5588 (1) 自由学園は、羽仁吉一、もと子夫妻により、1921年(大正10年)に女学校として、設立された。

 羽仁吉一と、もと子は同じく、報知社(現在の報知新聞社)に入社。翌年には、吉一は報知新聞編集長になるが、同年、もと子と結婚し、退社。もと子は、7歳年上の“姐さん女房”だった。

IMG_4477 2
IMG_4479 2
IMG_4484 2 羽仁夫妻は、『家庭之友』を出版後、婦人之友社を立ち上げ、『婦人之友』を創刊する。婦人之友社は、現在も、自由学園の斜向かいにある。13年後、自由学園を設立。

 3人の子供がおり、一番下の三女に合う学校がないので、女学校を作ろうというのが発端だった。

 知識の詰め込みではない、新しい教育を実現するために作られた学校で、生徒に自ら昼食を調理させるなど、生活に結びついた教育は、まさに大正デモクラシー期における、自由教育運動の象徴と言える。

 現在は、生徒数も増え、約300人分の昼食を、毎日、学年交代で作る。ご飯はいまも、薪で炊いている。

 夫妻は二人とも、クリスチャンで、自由学園の教育は、それに根ざしている。

 余談になるが、「世界不思議発見」にかつて出演していた、羽仁進は、孫に当たる。祖父母が作った自由学園を卒業後、映画監督になる。元妻は、左幸子。

IMG_4388 (4) ホールにある壁画。旧約聖書の出エジプト記で、モーセが民を引き連れている絵だ。

「みよ、火の柱、雲の柱、我らに先立ち、昼よ、進まん」とヘブライ語で書かれている。校歌の一節にもなっている。

 1931年、開校10周年に生徒たちが描いた壁画だ。

IMG_5575 (1) 戦争により、キリスト教が御法度になり、漆喰で埋めていた。1999年に保存修理工事を行う際に、壁の裏に壁画があることを偶然、発見。修復を加え、現在がある。

 ライトが自由学園を手がけることになったのは、羽仁夫妻の友人で、ライトの弟子である遠藤の存在をなくしてはない。

 旧帝国ホテルの設計のために来日していたライトは、羽仁夫妻の教育理念に深く共感し、設計を快諾したと言われる。

 ライトの叔母がホームスクールを開校しており、教育理念が近かったことも、共感した理由だった。

IMG_5596.jpeg ライトは、完璧主義者で、自分の理想を叶えるためには、予算オーバーもいとわなかったため、旧帝国ホテルが完成する前にクビになった。

 そのため、自由学園の設計に当初の予定より早く、着手することができた。

 羽仁夫妻は、ライトに「できるだけ、お金をかけずに作って欲しい」と依頼。

IMG_4418 (1) 材料費を抑えるために、ドアはベニヤ板で、中は空洞だ。叩くと、カンカンという音がする。

IMG_4392 (1) 日本に残る、ライト建築の特徴である大谷石が多用されている。自由学園では、旧帝国ホテルの建築時の端材を使っている。

 屋根が低く、水平線を強調した立面、幾何学的な建具の装飾は、「プレーリーハウス(草原様式)」と呼ばれる、ライト作品の意匠を象徴している。

 建物の基本構造は、現在の2×4(ツーバイフォー)工法の先駆けと言われるなど、他の日本建築には見られない、ライトの作風を示す典型的な建物だ。

 入学式は、1921年(大正十年)4月15日午後1時からだったが、12時まで大工が作業をしていたというほどの突貫工事だった。

IMG_4407 (1) 開校当時は、入学式が行われた、1921教室しか完成していなかった。23人しか生徒がいなかったので、部屋がひとつあば、十分だった。

 1921教室を完成させると、ライトは、弟子の遠藤に後を任せ、自らはアメリカに帰国した。

 道路を挟んで、向かい側にある講堂は、遠藤の設計によるものだ。
関連記事

プロフィール

カエルのロビン

Author:カエルのロビン
フリーランスの記者&編集者。星野源と加瀬亮が好きといえばオシャレだと思っている。何歳からアラフィフか母親と協議中。数年分の旅行記と食べ歩き日記を順次アップしていきますので、よろしくお願いいたします。
★リンクフリーです。

カレンダー

03 | 2024/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -