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(6)トキワ荘マンガミュージアム

IMG_3693のコピー2 トキワ荘の一階では、「マンガとあゆんだ人生を語る」というビデオを観た。

 鈴木伸一は、ディズニーとの出会いを鮮明に覚えているという。白雪姫が輸入され、感動し、40回も観た。切れたフィルムを勤めていた友人にもらい、大事にしていた。

『漫画少年』を母親に買ってもらっていた。『漫画少年』のマンガをたくさん模倣したとか。手塚の作品にも、多大な影響を受けたとか。

 寺田ヒロオから手紙をもらった。寺田に地図を描いてもらって、トキワ荘を訪ねた。

 寺田にカツ丼をごちそうになったことをなつかしそうに語っていた。寺田は、トキワ荘の新しい住人になると、みなにカツ丼か玉子丼をごちそうしたという。

 紅一点の水野英子は、手塚のマンガが素晴らしく驚いたと語っていた。「読み終わった瞬間、マンガ家になろうと思った」という。

 山口県下関に住む水野のもとに、大日本雄弁会(現在の講談社)から原稿の依頼があった。手塚の部屋で原稿を読んで、水野を知ったと書いてあった。18歳で上京した。

 よこたとくおは、工場(こうば)に勤めていたが、『漫画少年』に投稿し、赤塚不二夫とマンガ家を目指した。

 赤塚はやさしいと語っていた。赤塚がいなかったら、マンガ家になれなかったという。

 貸本屋向けにマンガを書いた。工場は辞め、マンガで生きていくことを決めた。

 よこたとくお、石ノ森、赤塚で暮らした。食中毒を起こすような食生活だった。石ノ森の紹介で、トキワ荘に来た瞬間、別世界に来たような感覚を覚えた。

 毎週土曜日に赤塚の部屋に泊まりに行った。つげ義春も、赤塚を訪ねてきたという。

 山内ジョージは、手塚にファンレターを書いたら、返事が来たとか。マンガを投稿したら、高額な2000円もの謝礼をもらった。

 手塚に手紙で質問すると、アトムの判子を押して、いろいろなことを教えてくれたという。

 石ノ森はすでにプロだった。自分は中学生だった。手塚のマンガ帳を模倣して、借りては返しを繰り返した。

 トキワ荘に来てから、石ノ森は12時で上がり、自分たちは朝の5時頃まで描いていた。

「トキワ荘は楽しかった。将来はなんとかなるだろうと思った」と語る。

 辞めた仲間も、週末にはトキワ荘に遊びに来ていた。17歳の頃からトキワ荘に入り浸っていた。

 ビデオでは、みなが「トキワ荘は楽しかった」と語る。青春を過ごした、なつかしい場所。トキワ荘マンガミュージアムができ、その様子を知ることができて、うれしかった。

IMG_4249.jpeg トキワ荘通りお休み処にある、トキワ荘の模型と二階の見取り図。

IMG_4251.jpeg トキワ荘は、1982年(昭和57年)に老朽化のため、取り壊され、現在は、日本加除出版株式会社という出版社が建っている。

 マンガとまったく関係のない出版社なのが面白い。

IMG_4253.jpeg トキワ荘お休み処の二階にある、トキワ荘の中心地「寺田ヒロオの22号室」の再現。トキワ荘のメンバーから“テラさん”と慕われた寺田ヒロオ。

 彼の住む22号室では、藤子不二雄Aが命名し、寺田ヒロオが総裁を務めた、新漫画党の会合や夜の宴会などが頻繁に開かれていた。

 今回は、寺田が残した多くの写真を元に検証し、再現した。

 入口には、カーテンがかかり、並びには押し入れがある。窓にはガラスが横位置で4枚はめ込まれていた。下3枚は磨りガラス、上の一枚は透明なガラスだった。

 本棚の前には、文机があり、トレース台(ライトボックス)が置かれていた。

 木箱を二段重ねにして、本棚に使っていた。木箱の本棚の中には、タイガー製のラジオが入っていたとか。

 本棚には、紙類や筆記用具、アルバムなどが詰め込まれており、ひと瓶だけ、オーシャンウイスキーなどのウイスキーがあった。

 本棚の中には、上二段は児童文学、下二段はマンガ雑誌が入っていた。

 本棚の対面の壁には、カレンダーが貼られていた。また、女優のアン・バクスター(建築家のフランク・ロイド・ライトの娘)のブロマイドが掲示されていた。

 寺田のアルバムには、アン・バクスターの写真が何枚もあり、ファンだった。部屋には、猫がいることもあったという。

IMG_4256 (1) 寺田ヒロオがトキワ荘の一室で、マンガを読みながら、くつろいでいる写真。

IMG_4260のコピー マンガ家たちの宴会をイメージしたもの。

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IMG_4262.jpeg 宴会の再現空間。

IMG_4265.jpeg マンガ家たちが食べに行ったり、出前をよく取った、松葉のラーメン丼と皿。時計は寺田ヒロオの父親のもの。

 晩年、一ヵ月〜三ヵ月と長期の国内旅行に出かけていた。持ち物といえば、小さなショルダーバッグに簡単な洗面道具、折りたたみ傘、ニコンの8×30の双眼鏡を入れていた。

 着替えはほとんどなく、ノートとメモ用紙と鉛筆が必需品だった。

 もう一つ、旅に欠かせないのが、腕時計だった。この腕時計には、ゼンマイ式のアラームが付いていた。

 携帯用の目覚まし時計を持つ必要がなく、少しでも荷物を減らしたい旅に重宝した。

 当時の宿の備え付けの時計は、操作がわからなかったり、確実になるとは限らなかったので、操作に慣れている、アラーム付き腕時計は、一番の頼りだったという。

 展示用に提供したのは、寺田孝雄さんという方だ。寺田ヒロオのご兄弟か何かだろう。

IMG_4266のコピー「トキワ荘のマンガ家たち その時代を食で、変わらぬ東京・夜ラーメン」。

 トキワ荘のマンガ家たちは、当時発売が始まったばかりのインスタントラーメンを共同炊事場で作り、深夜には、チャルメラの音が聞こえれば、ペンを放って、階段を駆け出し、前に止まる屋台へと向かったという。

 そして、出前といえば、いまも営業を続ける、中華料理屋の松葉だ。

 創業は昭和20年代中頃。藤子不二雄の『マンガ道(まんがみち)』よろしく、「ンマーイ!」と声を上げれば、“ラーメン大好き小池さん”の出来上がりだ。

IMG_4574のコピー 当時のトキワ荘。向さすけ氏撮影の貴重な写真だ。

IMG_4270のコピー トキワ荘お休み処の一階で売っている「チューダーあめ」。チューダーとは、昭和30年代初めのトキワ荘で、マンガ家たちのリーダーだった、テラさんこと寺田ヒロオが発明。

 みんなで飲んだ、「ショウチュウのサイダー割り」が「チューダー」というユーモアあふれるお酒だ。

 このネーミングをお借りして出来たのが、子供も楽しめる、サイダー味の「チューダーあめ」。

IMG_4273 (1) トキワ荘マンガステーション。2020年7月7日にオープンしたばかり。

 トキワ荘お休み処の並びにある。現在、4500冊ものトキワ荘のマンガ家たちのマンガがそろっている。

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IMG_4553.jpeg 豊島区立 トキワ荘マンガミュージアムのパンフレット。入館料が無料とは、豊島区も太っ腹だ。

 写真が102枚もあり、(6)まで書いてしまった。長文をお読みいただき、ありがとうございます。
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カエルのロビン

Author:カエルのロビン
フリーランスの記者&編集者。星野源と加瀬亮が好きといえばオシャレだと思っている。何歳からアラフィフか母親と協議中。数年分の旅行記と食べ歩き日記を順次アップしていきますので、よろしくお願いいたします。
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