FC2ブログ

記事一覧

(2)トキワ荘マンガミュージアム

IMG_3962.jpeg
IMG_3975.jpeg
IMG_3969.jpeg 共同炊事場。リアルな再現空間。ガスを使用するためには、月ごとに料金を支払う必要があった。

 しかし、マンガ家たちは、お金がなかったり、あってもすぐに映画などに使ってしまうため、食事には最小限の金しかかけられなかった。

 鈴木伸一は、ガス代を払えなかったため、炊事場が使えず、パンばかり食べていたという。

 山内ショージが自炊に挑戦したときには、赤塚不二夫の母親に料理の手ほどきを受けたとか。

 流し台は、洗面所としても使われ、朝、顔を洗うときにマンガ家と顔を合わせ、作業の進み具合の話をすることもあったそうだ。

 赤塚不二夫のマンガには、なんと流し台を風呂の代わりに使う様子が描かれている。

 調理台の上に置いてあるラーメンどんぶりは、トキワ荘の住人がよく行った中華料理屋「松葉」の名前入り。

 トキワ荘があった時代に店で使われていたものが3つ残っており、どのうちの一つを分けていただいたものだという。

IMG_4072のコピー リアルな再現空間は、それもそのはず、トキワ荘に暮らしたマンガ家の監修により、当時のままを再現。

 手がけたのは、映画で昭和時代のセットを得意とする、日本トップクラスの美術チーム。当時のマンガ家の生活を感じることが出来る。

IMG_3942のコピー 便所。マンガ家が暮らした時代には、大便器は汲み取り式で、用を足すと、二階から一階へ土管を通って、下にあるツボに落ちる仕組みだった。

 その音はガチャーンという音で、用を足した音とは思えないものだった。しかも、匂いがきつく、目が痛くなるほどだったという。

IMG_3979.jpeg 鈴木伸一が描いた、住人の部屋の見取り図。水野英子が自身の部屋を加筆。

 トキワ荘ゆかりのマンガ家たち。赤塚不二夫、石ノ森章太郎、鈴木伸一、園山俊二、つのだじろう、手塚治虫、寺田ヒロオ、永田竹丸、長谷邦夫、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、丸山昭(まるやま・あきら/編集者)、水野英子、森安なおや、山内ジョージ、よこたとくお、横山孝雄(50音順)。

IMG_3986.jpeg たてものみどころマップ。

IMG_3982のコピー トキワ荘のリーダー・寺田ヒロオの部屋。部屋の再現は、トキワ荘通りお休み処にある。

IMG_4042.jpeg 手塚治虫、藤子不二雄A、藤子・F・不二雄が次々に使った部屋。奥のテレビに建設中のミュージアムの映像が映っている。

 元のトキワ荘は、1952年に豊島区椎名町5丁目2253番地に棟上げされた。当時としては、ごく普通のアパートだ。

 棟上げの翌年、雑誌『漫画少年』を発行していた学童社の紹介で、手塚治虫が入居。およそ一年後、同じく学童社の紹介で、寺田ヒロオが入居した。

 その後、上京してきた若いマンガ家たちがトキワ荘に集うようになり、切磋琢磨し、「マンガ」の可能性を切り開いていった。

『漫画少年』とは、トキワ荘のマンガ家たちと最もゆかりの深い雑誌だ。講談社の『少年倶楽部』の元編集長・加藤謙一が、戦後自ら起こした出版社・学童社で発行していた月刊誌である。

 手塚治虫の『ジャングル大帝』などが人気だったが、読者投稿欄があり、優秀賞は掲載されたり、名前が発表されたりしたので、全国各地の若者たちが作品を投稿した。

 トキワ荘は、1982年に解体されたが、多くのファンや支援者の力添えにより、マンガミュージアムとして、再現することができた。

IMG_3996のコピー 藤子・F・不二雄が手塚の使っていた部屋を引き払って、使った部屋。

IMG_3999.jpeg
IMG_4048.jpeg 廊下の貼り紙。
関連記事

プロフィール

カエルのロビン

Author:カエルのロビン
フリーランスの記者&編集者。星野源と加瀬亮が好きといえばオシャレだと思っている。何歳からアラフィフか母親と協議中。数年分の旅行記と食べ歩き日記を順次アップしていきますので、よろしくお願いいたします。
★リンクフリーです。

カレンダー

03 | 2024/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -