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(4)森光子の放浪記の作者・林芙美子記念館

IMG_3408.jpeg 養子の泰(たい)ちゃん。

IMG_3410.jpeg 原稿書きのかたわら、台所仕事もしたし、配給も取りに行った。

IMG_3414.jpeg「家庭を持って、自分が小説なんか書いて仕事をしていると、わーと泣くときなんかあるが、それを耐えていく」。

IMG_3424.jpeg 軍に要請されて、戦地に赴くこともしばしばだった。敗戦後、軍国主義者だと言って、非難された。

 しかし、芙美子は戦争が好きなわけではなく、仕方なく戦地に赴いた兵隊たちを励ましに行きたかっただけなのだ。

IMG_3434.jpeg「偉い人よりも、犠牲になる人たちに非常にわたしは愛を持つんですよ」。

IMG_3437.jpeg「60か70ぐらいになって、本当のものが書けるような気がする」。しかし、非常にも、芙美子は47歳で早世する。

IMG_3441.jpeg 訪問先の子供たちと一緒の写真。いい笑顔だ。

IMG_3443.jpeg 芙美子の突然の死には、嘆き悲しむ人がたくさんいた。葬式には、ファンや近所の人達など、大勢の人が集まった。

IMG_3445.jpeg「泣いたことのない人間は、いやらしいし、こわいし、つまらない」。

IMG_3447.jpeg「泣くだけ泣かなきゃ、いい人間になれませんよ」。

IMG_3461.jpeg 芙美子の若い頃の写真。やはり美人だ。

IMG_3468のコピー『晩菊』の原稿。『晩菊』により、第三回女流文学賞を受賞。

IMG_3469.jpeg『うず潮』の原稿。

IMG_3474.jpeg 人生でいっぱい泣きもしたが、よく笑う人だった。

IMG_3471のコピー
IMG_3477.jpeg 芙美子の当時の書斎。主を亡くした書斎は、どうなったのだろう。

IMG_3485のコピー 養子の泰ちゃん。四歳の頃。芙美子の死後、間もなく、10代で早世する。

IMG_3648 (1)「家を作るにあたって 林芙美子」。「私はまず、家を建てるについての参考書を二百冊近く求めて、およその見当をつけるようになり、材木や瓦や大工についての知識を得た。大工は一等の人を選びたいと思った」。

「私は、自分の家の設計図を作り、建築家の山口文象氏に敷地のエレヴエションを見てもらって、一年あまり、設計図については、練るだけ練ってもらった。東西南北、風の吹き抜ける家というのが私の家に対する最も重要な信念であった」。

「客間には金をかけないことと、茶の間と風呂と厠(かわや)と台所には、十二分に金をかけるというのが、私の考えであった。それにしても、家を建てる金が始めから用意されていたのではないので、かなりあぶない橋を渡るようなものだったが、生涯を住む家となれば、何よりも、愛らしい、美しい、家を造りたいと思った。私の生涯で、家を建てるなどとは考えてもみなかった」。

IMG_3650.jpeg 芙美子は、新居の建設のため、建築について勉強をし、設計者や大工を連れて、京都の民家を見学に行ったり、材木を見に行くなど、その思い入れは格別だった。

 このため、山口文象設計による、この家は、数寄屋造りの細やかさが感じられる京風の特色と、芙美子らしい民家風のおおらかさをあわせ持ち、落ち着きのある住まいになった。

IMG_3653.jpeg 敷地案内図。

IMG_3662のコピー 家屋案内図。芙美子の家を訪れて、その住み心地のよさを感じた。大変に勉強をした上での、建築だということもわかった。

 芙美子にもっと長生きしてもらって、いい作品を書いてもらいたかった。それが叶わなかったのが残念だ。
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カエルのロビン

Author:カエルのロビン
フリーランスの記者&編集者。星野源と加瀬亮が好きといえばオシャレだと思っている。何歳からアラフィフか母親と協議中。数年分の旅行記と食べ歩き日記を順次アップしていきますので、よろしくお願いいたします。
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