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ママは、おねぇちゃん、ばっかり!

 5歳年下の妹は、34歳の若さで大腸がんで亡くなった。同級生のフィアンセがいた。

 亡くなる直前まで書いていた日記には、「ママは、パパが早くに亡くなって、苦労してきたから、孫を産んであげたい」と書いてあった。

 父は妹より早く、妹と同じ、大腸がんで、55歳の若さで早逝した。病気が見つかった時には末期がんで、手の施しようがなかった。

 妹はパパっ子だった。あたしは父を「お父さん」と呼んでいたが、妹は「パパ」と呼んで懐き(なつき)、父もまた妹をかわいがっていた。

 あたしが父と15歳の時に絶縁し、手の届かなくなった長女を嘆いたのが理由だろう。

 あたしと妹は、幼い頃からぬいぐるみが大好きだった。あたしは、ぬいぐるみの足などに付いているメーカー名の書かれたタグに指を通すと安心感が得られるという変わったクセがあった。

 両親は、姉妹に同じぬいぐるみを買って来てくれたが、あたしは「この子とこの子は兄弟なの」などど言って、妹のぬいぐるみを奪った。

 母は、あたしがぬいぐるみを妹から取り上げても、何も言わなかった。妹は、自分のぬいぐるみは自分で守るとばかりにタグをハサミで切った。あたしがもう興味を示さなくなることを知っていたのだろう。

 母の手元には、妹が長じて書いた恨み節の手紙が残っている。「ママは、やっぱり、おねぇちゃんばっかりなのね」。

 母はあたしに手紙を見せないので、内容は知り得ないが、母とあたしは性格が似ていて、気が合うというのを超え、知らず知らずのうちにあたしをかわいがっていたのは事実だろう。
 
 1997年7月7日、父が亡くなる日がやってきた。病室には、ベッドの周りに親戚一同が集まった。左手はさして仲がよかったわけでない叔母が握り、右手は死の直前に和解したあたしが握った。

 握ると弱いながら握り返してくる。握ると握り返してくる。あたしは、今度、握って来なくなるのが怖くて、どんどん強く握った。

 早朝7時頃、父は大量の血を吐いて、絶命した。医師が駆けつけ、ご臨終ですと頭を下げた。みな呆然としていたが、妹からはのちにあたしが握る手はなかったと恨まれた。

 祖父は、父が亡くなった数年後に老衰で他界した。その後に大変なことが待ち受けていた。泥沼の遺産相続だ。

 叔母は、祖父に夫と暮らす家を建ててもらったので、「あたしは遺産はいらないの」と父が亡くなる前は言っていたが、いざ亡くなると祖父母の暮らしていた母屋とあたしたちが暮らしていた離れを渡せと言った。いわば、追い出しだ。

 当時、過労とうつ病で心身を壊していたあたしに代わり、大腸がんで体調が悪化し始めていた妹が叔母との交渉役を引き受けた。

 どういう法律的な手を使ったかは、あたしには定かではないが、母とあたしと妹が暮らしていく母屋の離れは、死守してくれた。

 母に妹が死の直前まで付けていた日記を「一文字残らず読みなさいよ」と厳命された。見覚えのある妹の几帳面な字がそこにはあった。

 日記の内容は、彼女のプライバシーなので書けないが、どんどん悪化していく体調の不安、焦燥、亡くなった父に会いたいという悲しい願い、フィアンセとの未来を夢見たものもあった。

 2011年5月20日、妹は安らかに亡くなった。死化粧を施すと、もともと美人だった妹は、まるで生きているかのように見えた。

 大好きな父の死、愛情を得られなかった母の存在、若すぎる大腸がん。妹は身を粉にして守った小さな我が家には、ほとんど暮らす時間が残されていなかった。

「不幸な人生」とひと言では片付けられない妹の34年の生涯。埼玉のはずれには家の墓がある。そこには、まず亡くなった父、祖父、祖母、妹が埋葬されている。

 家の近所に個室が集まった墓ができた。埼玉から父と妹のお骨を移してくる予定だ。同時に契約すれば、父と妹を隣の個室に入れてあげることができる。何もしてやれなかった、せめてもの詫びだ。
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カエルのロビン

Author:カエルのロビン
フリーランスの記者&編集者。星野源と加瀬亮が好きといえばオシャレだと思っている。何歳からアラフィフか母親と協議中。数年分の旅行記と食べ歩き日記を順次アップしていきますので、よろしくお願いいたします。
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