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(1)恩師とデート。やっと会えました!

IMG_7579_20230115200245a73.jpeg 今日は、恩師とデート。あたしが体調を悪くし、2回もドタキャンして、やっと、今日、快晴の日に会えた。

 恩師は、15歳でカナダにホームステイをした時に引率してくれた先生。家出をした時も、お世話になった。

 そうなの、あたし、15歳の時、家出をしてるの。夏休みに友人の葉山マリーナ(別荘)に泊まりにおいでって言われて、泊まりたいと父に言ったら、父が大反対。

 15歳になるまで、友人の家に泊まったことがなかった。目の届かないところで、何かあったら大変だと言って、許してくれない。

 ここは、強行突破と思い、置き手紙をし、短パンをはいて、家を出たのよ。どこに行こうかと思ったら、ちょうど先生のことを思い出し、高崎に住む、先生のアパートに行った。

 運悪く、先生は横浜の実家に行っていて留守。夜中に高崎駅の紀文の駐車場に隠れていると、車のヘッドライトがいきなり付き、おじさんが降りてきた。

「こんなところで何してるんだ?」「兄を訪ねたら、留守だったんです(嘘つき!)」「それなら、オレが兄さんのアパートに連れて行ってやる。もう帰ってるかもしれないし」。

 躊躇してると、紀文のマークが付いた車体を叩き、「こっちは看板を背負ってるんだ。安心して、乗んな」。ありがたく、トラックに乗せてもらう。

 もう一度、先生のアパートに行っても、当然、留守。「配達があるけど、それが終わったら、高崎駅まで送ってやる。車に乗ったままでいな」。

 紀文のはんぺんやちくわが入った箱をお店に届ける手伝いをしながら、少しずつ、高崎駅に近づいて行った。高崎駅に着き、お礼を言って、池袋の実家に帰った。

 父方の祖父母は、大変キビシイ。家に帰ったら、母方のやさしい祖父母がいた。母が呼んだのだろう。父方の祖父母にバレたら、大変なことになる。

 その頃、我が家は母家と離れがあった。父方の祖父母は母家で暮らし、小さい離れに父と母とあたしと妹で暮らしていた。

「無事でよかった。本当に心配してたのよ」「よく帰ってきた。そんな短い短パンをはいて、怪我はないか」。父はへそを曲げ、そっぽを向いていた。

 それから、父が55歳で死ぬまで、父とは冷戦状態。あたしが23歳の時に、父は末期ガンで亡くなるんだけど、その間、口もきかなければ、目も合わさなかった。

 末期ガンとわかって、態度を軟化し、父と話すようになった。父にはガンのことを告知しなかったんだけどね。

 ある日、言われた。「オレは、末期ガンだと思ってるよ」。父の黒目は、自分で言っていながら、揺れてるように見えた。「何言ってるの、お父さん。55歳にもなれば、いろいろガタがくるわよ」。

 そう言いながら、あたしは告知をする覚悟をした。もう一度、「本当のことを言ってくれ」と言われたら、言おうと思った。

 でも、父はそれ以上、聞かなかった。恐怖のあまり、現実は直視したくなかったんだろう。

 父が入院した。夏は越えられないでしょうと医師に言われた。亡くなる日、親戚が父の病室に集まった。モルヒネで、もうろうとする父のベッドを取り囲み、鎮痛な夜を過ごした。

 あたしは、知らず知らず、父の右手を握っていた。左手は、さして仲良くもなかった叔母が握った。父の手を握ると、弱いながら、握り返してくる。

 また握る。また握り返す。いつか握り返してこなくなるのが怖くて、どんどん強く握った。

 朝が来た。父は大量の血を吐いて、絶命した。妹に「あたしが握る手はなかった」とあとで恨まれた。それから、家ではいろいろなことがあった。

 父の死で、受験を翻弄され、浪人生活に入った妹。母は、生意気口を叩いた妹に「あんたは17歳だからいいわよ! あたしは、50歳なのよ!!」と狂乱し、妹の頬を平手打ちにした。

 なぜ、ひとこと、「お父さんは亡くなったけど、来年、受験、がんだろうね」と言ってやれなかったんだろう。

 あたしは、編集部の休刊で仕事が激減したが、マンションで仕事を細々と続け、実家では、殴られ、絶縁した母と妹が小さい家で同居した。

「お姉ちゃん、帰ってきて。アタマのおかしいママと居たら、あたしまで、アタマがおかしくなりそうよ!」。その頃、母は、父の死でノイローゼ状態だった。

 あたしは、マンションを引き払い、実家に帰った。あたしが帰ったことで、多少は、ショックアブソーバになったのだろう。妹は、勉強を再開した。

「お姉ちゃんはいいわよ。お金が貯まったら、またこの家を出てくんでしょ。あたしは、この家から出られないのに!」。

 妹は、なんとか、3番目の志望校に受かり、大学生になった。母と顔を合わせたくないばかりに、池袋で夜中に遊び呆け、朝帰りする日もしばしばあった。

 就職し、念願の独立ができるようになると、すぐにマンションを借りて、引っ越して行った。

 あたしは、ライター&編集者というハードな仕事をしていて、家には寝に帰るだけだった。母は、父もいない、妹もいない家で、ひとり、ご飯を食べていた。

 あたしは、40歳で乳がんを患った。仕事は休職せざるを得なかった。母と良好な関係だったあたしは、無理をせず、体調の良い日は、おいしいものを食べに母と出かけた。

 いまは、母をほっぽていた時の懺悔なのかも知れない。母、76歳。長生きしてもらいたいが、寿命はある。生きているうちに恩返しをしよう。

 父の死、妹の独立で、母とあたしだけになった家で、穏便な生活を続けていた。いろいろなところへ、旅行にも行った。

 しかし、神様はなんと無慈悲なんだろう。妹は32歳で、父と同じ、末期ガンになり、夭逝した。母は、ショックのあまり、ふたつも国指定の難病を抱えた。

 あたしも、父に次いで、妹も早死にしたことで、不眠症になり、眠剤を飲まないと眠れない。薬はどんどん増えた。

 妹の死から、11年。ようやく、フツーの暮らしができるようになった。

 Happy go lucky. 笑う門には福来たる。喜寿を迎えた母と独身娘。楽しめる時に楽しまなきゃ。明日はお天気? さあて、どこへ行って、何を食べましょうか。

つづく。
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コメント

No title

カエルのロビンさん GOOD MORNING!!
家族と離れたり 触れ合ったり 色々あったんですね~~ROBINNさんは有能な<ハンサム ウーマン>・・・っとblogから感じます。
恩師と何を語られたのかしら??
イイ時間をタクサンつくりましょう。
ではではまたね~~

Re: No title

kodamastampさま、こんにちは。カエルのロビンです。コメント、ありがとうございます。

父のことは、死んでなお、愛憎半ばするものがあります。戦争後遺症の祖父に育てられ、性格にいびつなところがあり、衝突することが多かったからです。

「ハンサム ウーマン」なんて、言われると、照れちゃうな(笑)。

恩師との会話は、(2)をご覧ください。お楽しみに!

こんばんは(^^)
家族って何だろって、時々思うことがあります。父親とはいろいろあってさいごまで心を許せなかったかな。
母をもっと旅行に連れていけば良かったなと後悔することも度々あるし。父母を看取る時の経済的な負担は私が負いました。
私も大病をして休職経験があります。持病もあるし、、、なのでカエルのロビンさんと一緒の思いです。
人生楽しめる時に楽しまなきゃ!なかなかムズカシイけど笑って楽しく生きていきたいですね(^^)

Re: タイトルなし

may姉さま、こんばんは。カエルのロビンです。コメント、ありがとうございます。返信が遅れて、ごめんなさい!

ホントに家族って、何だろうですね。

戦争後遺症の祖父に育てられ、性格にいびつなところがあり、父と衝突することが多かったからです。亡くなってなお、愛憎半ばするものがあります。

父が亡くなる時、父の手を握ったんですが、握り返してくれたんですね。モルヒネでもうろうとしているのに。母は、それは誰が握っていたのかわかっていたから、握り返したのよと言っていました。せめてもの救いです。

お父さま、お母さまを看取るときの経済的な負担は、may姉さまが負ったんですね。さぞや、ご苦労されたんでしょう。

乳がんという大病と私の休職中という今、不眠症という持病(20年のベテランです……笑)。may姉さまと一緒ですね。

自分から楽しもうと思わないと、ハッピーはやってこないと思うんです。

人生、楽しめる時に楽しまなきゃですね。なかなか難しいけれど、笑って楽しく生きたいですね!

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プロフィール

カエルのロビン

Author:カエルのロビン
フリーランスの記者&編集者。星野源と加瀬亮が好きといえばオシャレだと思っている。何歳からアラフィフか母親と協議中。数年分の旅行記と食べ歩き日記を順次アップしていきますので、よろしくお願いいたします。
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