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母からの逃避行。

IMG_0191のコピー 母とは、いつも良好な関係ではなかった。こんな平穏な日々が訪れようとはね。

 30歳で過労とうつ病で入院したんだけど、その直前の話だ。 夜半過ぎに編集部から帰ると、黒い不安の陰を背負った母があたしの帰りを待っていた。

 玄関のカギを開けると、そこに母が仁王立ちしていたのだ。「体の調子が悪いのに、今日もこんな時間まで働いて。何考えてるんだ、あんたは」。

 温めてきた企画がようやく本になろうとしていた。一年ほど前から不眠症で心療内科に通い出し、半年ほど前には「うつ病」と診断されていた。

 朝晩、抗うつ剤と寝る前には睡眠薬を飲んでいた。それでも眠れない日は多く、いけないことに睡眠薬に重ねて酒を飲んでいた。

「お父さんが生きてたらね、こんな仕事、辞めさせてたんだからね。なんだい、そのやつれた顔は。まるでお化けじゃないか!」。

 疲れて帰ったあたしに母の“攻撃”は、その日もなかなか止まなかった。

「お母さん、あたし疲れてるの。話は今度にして寝かせてくれない?」。

「あんたはそう言って、いつもいつも逃げるんだ。ごまかしてばっかり。あんたの生活なんてめちゃくちゃじゃないか!」。

 母を押しのけて自室に入り、睡眠薬を酒で飲んだ。

 数日前も、母とひと悶着あったことを思い出していた。あの日は眠れずに朝になり、リヴィングへ行くと、くまを作って険しい顔をした母がダイニングの椅子に腰掛けていた。

「あんた昨日、一睡もしてないんだろう。そんな状態で仕事に行くつもり? いったい何やってるんだよ!」。

 あたしの部屋は2階だった。その真下の1階に母の部屋があった。寝つかれないまま、夜中に部屋を歩き回った音が聞こえていたのだろう。

 人一倍心配性の母は、一睡もせずに聞き耳を立てていたに違いないなかった。

 母は「そっと見守る」ということができない人だった。その思いやりが、ときとして“攻撃”に変わることも珍しくなかった。

 妹は、就職して自活できるようになると家を出ていった。 あたしも、もういい加減、家を出なければ。

 父が死んで、ほんの数年のつもりで実家に出戻ったはずがもう7年になっていた。うつ病と診断されたのはそんなときだった。

 抑うつ状態と不眠症に加え、ひどい過敏性腸症候群が何ヵ月も続き、52kgあった体重が38kgになっていた。マイナス14キロ。

 食べたものが吸収できないばかりに体の中は絶えず燃やすものがなく、体は冷え切って、手足の先は冷たいというより霜焼け(しもやけ)を起こしたようにジンジンと痛かった。
  
 それがまたイライラと神経に障り、不眠を誘発した。デスクには、制作中からあたしの尻ぬぐいで、これ以上ないほど迷惑をかけ倒していた。

 挙げ句、校了をデスクに押しつけるようにして、あたしは入院した。 仕事は休業せざるを得なかった。 母を巻き添えにして、共倒れになるような気がした。

 心療内科の医師に母のことを相談すると、すぐに入院するように勧められた。

「このままでは、ふたりともダメになってしまいますよ。お母さんのことは大丈夫。それだけ騒げるなら、まだ体力がある証拠だから。まずは、あなたが入院して、お母さんから逃げなさい」。

 なぜ、肉親から逃げなくちゃいけないんだろう。それを考えると暗鬱な気分になった。そして、あたしは太宰治が入院したという精神病院に入った。そこは静かだった。とにかく母がいないだけでも、心が安まった。
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カエルのロビン

Author:カエルのロビン
フリーランスの記者&編集者。星野源と加瀬亮が好きといえばオシャレだと思っている。何歳からアラフィフか母親と協議中。数年分の旅行記と食べ歩き日記を順次アップしていきますので、よろしくお願いいたします。
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