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友人の自殺。

 同級生のC子が死んだのは、26歳のときだった。

 あの夜、中学・高校時代の友人から突然電話があった。大学付属の中学・高校に通っていたあたしは、大学進学時にみんなと分かれて、別の大学に行ったために疎遠になっていた友人だった。

 電話口からは、当時からブリッ子だった彼女の、変わらぬ甘ったれ声が聞こえてきた。

「あのね……残念なお知らせなんだけどねぇ。C子がねぇ、死んだみたい。今朝のぉ、産経新聞の社会面に載ってたのをY先生が見つけたみたい。死因は……自殺みたい」

 かつてのクラスメートの間で伝言ゲームになっているのだろう。情報は「みたい」「みたい」の連続だった。

 翌朝、編集部に置いてある新聞の山から、その産経新聞の記事を見つけた。

「26歳女性、自宅風呂場で変死」というタイトルの記事だった。その日は終戦記念日で、社会面トップは1面に関連した戦争モノの記事がデカデカと幅をきかせていた。友人の死を知らせる記事は、その下に小さく載っていた。

 C子とは、中学・高校の6年間、同じクラスで過ごした。C子に限らず、その中学の第一期生にあたるあたしたちは40余名しかおらず、クラス替えのしようがなかったために6年間を一緒に過ごしたのだ。

 C子は大学付属校に中学からいたにもかかわらず、大学には行かなかった。行けなかったのではない。行かなかったのだ。彼女は、友人づき合いが苦手な代わりに物理と数学が驚くほどできる子だった。

 高校3年の秋。付属大学の学部に学生を割り振るための学力テストが行われた。C子は国語のテストを白紙で出した。C子と担任の国語教師の折り合いが悪かったことは誰もが知っていた。

 C子は、そんな小さな抵抗で国語教師に恥をかかせたかったのかもしれない。それが何にもならないことは彼女自身が一番よく知っていたはずだ。

 彼女に推薦のクチは回ってこなかった。そして1年浪人することになった。あたしも、付属大学の推薦を蹴って、他大を受けたにもかかわらず、落ちたために大恥をかきながら浪人の身となっていた。

 卒業後、ふたりとも予備校通いの日々が始まった。別々の予備校に行ったものの、同じ池袋だったので、昼休みに何度かラーメン屋で落ち合い、「どう? そっちの具合は?」などと、とりとめのない話をした。

 C子には、じつは秘密の借りがあった。高校3年まで理系だったあたしが、親に背いて、他大の文系学部を目指したとき、最後に裏で助けてくれたのがC子だった。

 文系学部に照準を合わせたときから、理系の教科の成績はみるみる落ちていった。とくに数学がヒドかった。

 卒業を控えた高校3年の1月半ば、卒業判定会議が教師の間で開かれた。文系の教科はまずまずとしても、肝心の理系の成績が悪すぎたあたしは、卒業させてもらえないのではと真剣に震え上がっていた。

 後日、これ以上ないくらい沈痛な面持ちの数学教師から、分厚い数学の問題集が手渡された。微分積分、代数幾何、確率統計の問題で埋め尽くされたウンザリするような代物だった。

「2週間でこの問題集を解いてきなさい。そうしたら、卒業を認めましょう」。

 大学受験の日まで、ひと月もなかった。この“非常時”に2週間も、この問題集と格闘する時間はなかった。

 真っ青な顔で教室に戻ると、C子が声をかけてきた。「呼び出し食らったんだって?」。

 すぐに問題集の話をした。あたしは「こんなの解いてるヒマないっ」と半泣き状態だった。すると、C子は「あたしが解いてあげるよ。それを後で書き写せばいいじゃん」と涼しい顔で言った。

 彼女は「やることないからヒマでさ」ともつけ加えた。白紙答案で推薦がパアになったものの、受験勉強を始めるには早いと思ったのだろう。

 すがる思いで問題集をC子にあずけると、一週間もしないうちに答案とその途中式などがびっしりと書かれた大学ノートを投げてよこした。「サービスで、あんたの特徴ある字に似せておいたから」と笑っていた。

 本命受験までのカウントダウンが始まっていた。放課後、やぶれかぶれの気持ちでノートをそのまま、Y先生のところに持っていった。

 西日が差し込む職員室でY先生にノートを差し出すと、先生はノートを広げた途端、押し黙ってしまった。あたしは、先生の前で身を固くしていた。気が遠くなるほど長い時間そうしていた。

 Y先生にはすぐにわかったことだろう。このノートを書いたのは、問題集を解いたのは、C子だと。いくら字を似せたとはいえ、第一期生として6年間教えてきた生徒たちの字である。

 出席番号1番のC子の几帳面な字と、シャープペンにHBではなくHの固い芯を入れてひっかくように書くあたしの字は、あまりにも違った。似せてどうにかなるものではなかった。

 Y先生が重たい口を開いた。「……認めましょう。しかし、目標の大学には必ず受かるように」。

 C子の助けがなかったら、高校で異例の留年をすることになっていたかもしれない。にもかかわらず、あたしはその恩を返すことなく、彼女を死なせてしまった。

 彼女が自殺した日のひと月ほど前から、あたしの自宅には昼頃から夜にかけて、“カラの留守電”が1時間おきぐらいに入っていることが何度かあった。

 そのときは、帰宅すると入っている留守電の犯人は、別れた男か何かだろうと思っていた。でも、あれはC子だったのかもしれない。

 浪人して迎えた互いの受験期間中にも、C子から日に何度も電話があったことを思い出す。その内容はないに等しかった。C子は、不安でたまらずに誰かと話をしていたかったのだ。

 浪人中、家族が止むなく地方に引っ越すことになったC子は予備校の寮で暮らしていた。電話はいつも、寮の公衆電話からだった。

「お互い試験が続いているんだから、入試に集中しよう、ね、わかるでしょ」と、言ってしまった日からC子からの電話はプツリとなくなった。

 ひと月ほどして、C子の大学受験が全滅したことを、C子が嫌っていた元担任の国語教師から聞かされた。

 寮に電話するか迷った末、あたしは電話をかけなかった。第一希望は落ちたものの、どうにか滑り止めに引っかかったあたしは、彼女にどう接したらいいかわからなかった。

 その後、ときどきどうしてるだろうと思い出すものの、連絡先がわかならいことを理由に彼女に電話をすることはなかった。

 C子、あの“カラの留守電”は、あんただったんでしょう? 一度でも電話がつながったら、死ななかった?

 借りを残したまま死ぬなんて、バカだよ、あんたは。26歳にもなって、まだ上手に生きられなかったの? 

 ねぇ、C子、この薄情な友人になんとか言ったらどうなの?
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コメント

なんか…

村上春樹の短編を1編読み終えたような気が…??

白紙の答案!
自分もやればヨカッタ!! と思う数学教師がおりました。

その国語教師は、間違いなくC子さんの死の要因のひとつになっていると思います…。。。

でも! やっぱ自殺はダメなんだよな~。。。

Re: なんか…

ざくまらさま、こんばんは。ロビンです。コメント、ありがとうございます。

村上春樹ほど、文書は上手くないですが、たとえだとしても、そう思っていただけて、うれしいです。

白紙答案を出したかった数学教師がいましたか?

C子は、26歳で死にましたが、上手く生きられなかったとはいえ、自殺をするべきではなかったと思います。

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カエルのロビン

Author:カエルのロビン
フリーランスの記者&編集者。星野源と加瀬亮が好きといえばオシャレだと思っている。何歳からアラフィフか母親と協議中。数年分の旅行記と食べ歩き日記を順次アップしていきますので、よろしくお願いいたします。
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